どうしてTwitterは没落したのか。
最近Twitterのニュースがあると、レイオフか役員の退職だ。
まるで明るい話がない。
Twitterは、負け組になったという。
たしか Twitterは日本人には向いてるとか言われてた時期もあったww。
俳句・短歌をたしなんできた短文文化にあってるとか。
Twitterが失敗したと言われてるのは、ビジネスが儲かってないからだ。たくさん稼ぎたい人たちにとってのTwitterって、Googleの広告費を奪えず、Facebookに新たな広告費は持っていかれてじり貧になって、クライアント企業にとっては炎上の要因にもなり、もうコイツどうしようもねーな!と思われてるだろう。
ユーザーにとってはじつはそうでもない気がする。不特定多数多数の人とチャットできたりいきなり話しかけたりできて、特にテレビとか、ニュースとかみてるときにタグ入れてつぶやけるのって真にTwitterだけの魅力。
ただ最近は日本のTwitterユーザーは偏ってきている。
10代・20代のTwitterに対し、30代・40代のFacebookというところで、Twitterユーザーがお金を持ってない世代がメインになってしまっているのが、さらに厳しい。
Twitterの復活のカギは、10代・20代に支持されていることへの自覚と、そこからのマーケティング手法の開発だ。けして、お金のない世代に受けているからといって、儲からないわけではないだろう。いままでにそんな世代が限定されたメディアの前例がないので、ビジネス開発はしんどいとはおもうけど。
ただTwitter民が偏ったおかげで、2ちゃんのようなオタクたちの場になっているのが残念。つぶやきがかなり偏ってきてるのが、一般人にはなじみにくくなってしまっている。
どうして今日も食べたいものがみつからないのか。
外食とは、ステレオタイプなものである。
たとえば、海鮮丼といえば、主役はウニ、いくら、カニなど、高級なイメージの食材や、みんなから人気がありそうなものがメイン食材である。
チェーン店レストランの店頭のポスターには、こういう主役級の食材たちが、これでもか!とどんぶりの真ん中にどでかくツヤツヤに強調されてならんでるんす。
そういうお店のその前を、勤務時間中にときどき通る。
わたしは、お昼ごはんが決められないタイプ。
ランチにパスタ、蕎麦、ピザ、かつ丼、魚の定食、たくさん思い浮かぶのだけど、どれもいまいち食べる気にならない。
想像した瞬間に、前に食べたときのことを思い出してしまって、たぶん、脳内ではもう食べてしまっている。
たとえば、ナポリタンを外で食べるなら、私はそのナポリタンの「ナポリタンではない部分」を食べたいんだと思う。
ナポリタンではないナポリタンを出してくれる店なんて、こんな好みじゃあ誰も探せないよね。
だから結局、今日もランチで食べたいものがみつからない。
ブログ更新し続けるのが困難
興味が冷めるスピードを超えて書けるか。
これは、記事書く時に特に自分が気をつけないといけないことです。
イメージ、マッハ、音速。そのぐらい。
独学でやらない方がうまくいく
誰かに教えてもらうこと、誰かにお願いすることがうまくいくコツだった。
エゴが強すぎる自分は、なんでも自分でやりたがる。
自分でやってうまくいくものなら、いいが、自分の上達を世間は待ってはくれない。そうなるも評価は下がる一方。
上手にデザインするときに心がけると良いこと。
僕はいつもそれを形にする前に、言葉にする。
言葉にすると、途端にすべきことが見えてくる。
そのものだけのデザインができあがる。
デザインすることは、難しいことだと思うんです。
紙とペンがあったらできることではない。
紙とペンがあればできるレベルのものを目にすることはない。
そうやって考え抜くとき、初めて良いものができあがる。
素人デザイナーは、なんとなく出来上がったデザインなんて、
ないと自覚すべきだ。
可能性のないことは、可能性のあること。
自分はなんでもできると思ってたら、何にもできずに終わった。
はじめから、やっても無駄なことがわかっていたら、やれることに集中できた。
人生は有限。
可能性があればあるほど、中途半端になる。
1つだけに目標をしぼれば、無限の力が出てくる。
技能を身につけること、スーマリに学ぶ。
技術を習得するときは、なるべく実習からやってみる。
使い方や書き方を覚えても、実際にやってみるとできないから。
ただ実技だけしてるとすぐ飽きる。
むかし、スーパーマリオにハマった小学生の僕は、クッパが出て来る面がぜんぜんクリアできなかった。
そんなあるとき攻略本に出会った。
ようやくクリアできた。
うれしかった。
さらにそこには自分の知らない面が、さらにたくさん載ってた。
もっとやる気になった。
オレはもっとAボタン、B-DASHの使い方に磨きを入れなきゃダメなんだと悟った。
そして、早くスゲー面をやりたくて仕方がなかった。
自分がやったことのない面は、それだけでキラキラしてて、いつまでも見飽きなかった。
実技書っていうのは、自分にとってスーマリのプレイなのかもしれない。
1つずつクリアしていく。1面、2面をクリアしていく楽しさ。
でもそれだけじゃうまくならなかった。
攻略本があって新たな楽しさを知ったし、うまくなった。
技能を身につけるやり方ってそういうものなんじゃないかと思う今日この頃です。