くらしと仕事。

Live to work or work to live ?

どうして宣伝会議系コピーはダメなのか?

新年早々ぶちかます。

 

宣伝会議系コピー、TCCコピー、そういうコピーライティングに、それなりの対価が払われ、メディアに取り上げられ、もてはやされている。だから広告業界はダメなんだよ。

 

このコピーいいよね?っつって、「専門学校生の延長」みたいなことばっかやっている人たちが、いる。

 

たとえば、あなたならこれに、いくら払う?

 

「icocca ua

ユナイテッドアローズ/1998年

○C/一倉宏

mag.sendenkaigi.com

 

どうですか?

わたしなら、これをプレゼンされたらどうだろう、「こりゃ逆に珍しいものをみましたな・・・あははは」とかいって急に眠気を覚えて、それからダッシュで自席にもどって徹夜で自分で広告を作るかもしれない。

広告には目的があるから、これでいいのだ!という文脈はわかる。むしろわかる。だから、こういう広告をそのナニかの印象で完結させようとする「広告作品派」には、反対なのです。

すべての宣伝・販促コミュニケーションは、インプットがあって、それで受け手のアウトプットがあって、それが購買だったり、エンゲージメントを目的としている。

DVDを借りてきてよし今晩は観るぞ!とかいってTVの前にどかっと座るみたいな感じで広告を見る人らいない。これを知らない制作者はいないだろう。

なのに、こういうコピーはあまりにも広告制作者の「広告作品派」のおごりではないか?と感じるのです。

広告が好きで、こういう作品チックな広告にお金を払う”パトロン”がいてもいいと思う。けど、これはサロンでの遊びであって、一般的な宣伝・販促メディアでこれ、いいよねとか取り上げたり、名のあるコピーライターが評価したりすることは、やらないでほしい。あまりに偏重していると思う。文壇の参加者がどこも違うように、宗派・流派があって、参加する側が自由に選べばいいのだから。

こういうサロンへ入りたいと思ってコピーライターを志すなら、サロンへの入門切符は、宣伝会議の講座で手に入れなければならない。

だけど、一般的にはこのコピーはダメだと思う。一人よがり、企業よがりすぎる。映像CFの場合はエンターテイメントに昇華されているので面白!ってなるけど、誌面の場合はやばいでしょこれは。誌面でこれを読んで満足する人いる?いないでしょ。もっと、説得や気づきや、納得や安心やアクションをさせることこそ、広告に求められている役割じゃないのかな。

受け手に向かって正面から攻め入って突破できるコピーこそ、おみごとっ!って、わたしは言いたい。

いまほとんどのメディアで、広告の体をしないで、ステルス的に記事として流通させている広告が掲載されているけど、それは騙し(だまし)です。

商品を売ることを予定調和として、そこをどう乗り越えるかを勝負するという「広告原理派」がいてもいいじゃないの。